歩行瞑想中に退屈・飽きを感じたら?マインドフルな向き合い方
歩行瞑想中に「退屈だな」「飽きてきたな」と感じたら
日常生活の中で、私たちはしばしば同じことの繰り返しや、刺激の少ない状況に対して「退屈」「飽き」といった感情を抱きます。これは人間の自然な感情の一つです。歩行瞑想に取り組んでいる最中にも、「ただ歩いているだけなのに、何の意味があるのだろう」「景色も変わらないし、なんだか退屈だ」と感じることがあるかもしれません。
特に、座る瞑想と同様に歩行瞑想でも「今ここ」に意識を集中しようと試みるわけですが、意識がさまよい、すぐに心が別のことに関心を持ってしまうと、退屈さを感じやすくなることがあります。しかし、このような感覚は、歩行瞑想の実践において決して失敗や間違った状態を示すものではありません。むしろ、それは自分自身の心の状態に気づく貴重な機会と言えます。
この記事では、歩行瞑想中に退屈や飽きを感じた際に、どのようにその感覚と向き合い、実践を継続していくかについて解説します。退屈さを乗り越え、歩行瞑想をより豊かな時間にするためのヒントをお伝えします。
なぜ歩行瞑想中に退屈を感じることがあるのか?
歩行瞑想は、一見すると特別な活動ではなく、「ただ歩く」という単純な行為です。私たちの脳は、新しい情報や刺激を常に求め、変化のない状況には注意を向け続けるのが難しいという性質があります。そのため、感覚の変化が少ない単調な環境やペースで歩いていると、脳がすぐに「退屈だ」と認識し、別の思考や想像へと意識を移そうとすることがあります。
また、マインドフルネスの実践として歩行瞑想を行う場合、「評価や判断をせず、あるがままを受け入れる」という姿勢が重要になります。しかし、私たちは無意識のうちに「この活動は面白いか」「何か得られているか」といった評価を下しがちです。退屈さもまた、「これは面白くない」という評価の結果として生じることがあります。
退屈や飽きを感じることは、ご自身の心が「今この瞬間」から離れ、過去の後悔や未来への不安、あるいは単なる空想といった、現実ではない場所へさまよっているサインでもあります。これは人間の心の働きとしてごく一般的であり、特別なことではありません。
退屈・飽きを感じた時のマインドフルな向き合い方
歩行瞑想中に退屈さを感じた時、それを否定したり、無理に追い払おうとしたりする必要はありません。マインドフルネスの観点からは、その感覚そのものを一つの「気づき」として受け止めることが大切です。
- 退屈さに「気づく」: まず、「あ、今、自分は退屈だと感じているな」と、その感情や思考が湧き上がっていることに意識的に気づきます。これは、自分の心の状態を客観的に観察する第一歩です。
- 評価や判断をしない: 退屈さを感じている自分を「ダメだ」「集中できていない」などと否定的に評価しないようにします。「退屈だ」という感覚は、ただそこに存在している一つの感覚として受け止めます。
- 注意を歩行の感覚に戻す: 思考や感情に囚われていることに気づいたら、再び注意を「今ここ」に戻します。具体的には、足が地面に触れる感覚、一歩一歩の体の動き、呼吸、周囲の音や風といった、五感で感じられる身体感覚や環境音に意識を集中し直します。
- 退屈さそのものを観察する(高度な実践): 退屈さという感覚そのものに好奇心を持って注意を向けてみることもできます。「退屈さって、どんな感覚だろう?」「体のどこで感じるかな?」「ずっと続いているかな?」などと、評価を加えずにその感覚の変化を観察します。これは少し難易度が高いですが、感情に振り回されない訓練になります。
このように、退屈さは歩行瞑想を妨げる敵ではなく、「今ここ」から注意が逸れていることに気づかせてくれる合図として捉えることができます。その気づきをきっかけに、優しく注意を現在の感覚に戻す練習を繰り返すことが、マインドフルネスを深めることに繋がります。
退屈さを乗り越えるための実践的なヒント
マインドフルな向き合い方に加えて、実践そのものに小さな変化を加えることで、退屈さを感じにくくすることも可能です。
- 歩く場所やコースを変えてみる: いつも同じ場所を歩いていると、単調さを感じやすくなります。たまには公園や自然の中、あるいは普段通らない道を歩いてみることで、新しい景色や音、匂いといった刺激が加わり、注意を向けやすくなります。
- 歩く速度に変化をつけてみる: いつも同じペースで歩いている場合、少しゆっくり、あるいは少し速めに歩いてみることで、体の動きや地面との接地感など、得られる身体感覚が変わります。ただし、無理のない範囲で行い、あくまで歩行瞑想として「気づき」を保つことが目的です。
- 意識を向ける感覚の焦点を変えてみる: 足裏の感覚に集中するだけでなく、今回は風が肌に触れる感覚、今回は周囲の音、今回は景色、というように、意図的に注意を向ける対象を変えてみるのも有効です。
- 実践時間を調整する: 長時間歩行瞑想を続けようとして退屈さを感じる場合は、短時間から始めてみるのも良いでしょう。5分、10分と短い時間でも継続することで効果は得られます。「短時間でもやり遂げた」という達成感も、継続のモチベーションに繋がります。
- 「テーマ」を決めてみる(ただしマインドフルネスの基本は忘れずに): 例外的な方法ですが、退屈しのぎに「今日は〇〇の色を探しながら歩こう」「今日は〇〇の音に耳を澄まそう」といったテーマを設けることも、注意を「今ここ」に繋ぎとめる助けになる場合があります。ただし、これは「発見ゲーム」になってしまい、評価判断や目的志向が強くなる可能性があるため、あくまでマインドフルネスの基本である「あるがままの観察」から大きく逸れない範囲で行うことが重要です。
これらのヒントは、退屈さを無理に「なくす」ためのものではなく、退屈さが生じても実践を続けやすくするための工夫として活用してください。
退屈さを感じるのは失敗?
いいえ、退屈さを感じることは、歩行瞑想の失敗ではありません。むしろ、それはご自身の心が「今ここ」に留まることがいかに難しいか、そして注意がどれほど簡単にさまようかを学ぶ貴重な機会です。
瞑想の目的は、「何も考えない」状態になることではなく、心がさまようことに気づき、優しく注意を「今ここ」に戻すプロセスそのものにあります。退屈さを感じ、それに気づき、そして再び歩行の感覚に意識を戻すという一連の流れこそが、マインドフルネスの筋肉を鍛えるトレーニングなのです。
退屈さを感じた自分を責める必要は一切ありません。ただ、「ああ、退屈だな」と気づき、もう一度、足の裏の感覚に意識を戻してみましょう。その繰り返しの積み重ねが、やがて心の落ち着きや集中力の向上へと繋がっていきます。
まとめ
歩行瞑想中に退屈や飽きを感じることは、誰にでも起こりうる自然なことです。その感覚は、ご自身の心が「今ここ」から離れているサインであり、それに気づくこと自体がマインドフルネスの実践です。
退屈さを感じたら、それを否定せず、評価もせず、「ああ、退屈だな」とただ観察してみましょう。そして、優しく意識を足裏の感覚や呼吸、周囲の音など、「今ここ」で感じられる身体感覚に戻す練習を繰り返してください。歩く場所やペース、意識を向ける感覚を変えるなどの工夫も、実践を継続するための助けとなります。
退屈さは、乗り越えるべき障害ではなく、自分自身の心の動きを知るためのガイド役です。そのガイドに導かれながら、一歩一歩、歩行瞑想の実践を深めていきましょう。